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オシム監督に思う

思い返すとA級受講中には色々なことがありましたね。

オシムさんが倒れたニュースは夕方の風呂の中で受講生が興奮気味に話していたのを聞いて知りました。協会の人が難しい顔をしていたのが印象に残っています。

もちろん、オシムさんは素晴らしい指導者でした。弱小チームだったジェフを躍進させたことや、代表もいい感じで強化が進んでいました。

ただ、自分がオシムさんに何か共鳴してしまうのはオシムさんの指導歴には歴史に翻弄された過去があったことからでしょうか。

以下、監督歴から抜粋

1986年 – ユーゴ代表監督に就任。

1987年 – 翌年に行われる欧州選手権の予選最終戦、イングランド代表に1-4で大敗、本大会出場を逃す。

1990年 – FIFAワールドカップイタリア大会でベスト8。大会後、代表監督のままパルチザン・ベオグラードの監督も兼務することとなる。

この後ユーゴスラビアの分裂が決定的となる。

1991年 – 翌年の欧州選手権の予選通過を決めていたが、この年の夏にスロベニアとクロアチアが連邦から離脱、両国の選手抜きで本大会に臨むことになった。

1992年 –

3月27日 – ボスニア・ヘルツェゴビナの連邦離脱を受けて、ユーゴ軍がサラエボに侵攻。オシムは直前に仕事のため次男を伴いベオグラードに赴いたため戦火を免れる事が出来たが、夫人と長女はサラエボを脱出することが出来なくなった。

5月21日 – サラエボ侵攻とユーゴ分裂に抗議する意味を込め、パルチザンとユーゴ代表の監督を共に辞任。この後、国連の制裁決議を受けて欧州サッカー連盟(UEFA)、国際サッカー連盟(FIFA)はユーゴ代表チームの国際大会からの締め出しを決定する。

1992-1993年 – ギリシャのパナシナイコスの指揮を執る。この間戦火のサラエボに夫人と長女を残してのギリシャ赴任であった。

1993年 – オーストリアのSKシュトゥルム・グラーツ監督に就任。翌1994年、夫人・長女との再会を果たす。グラーツではUEFAチャンピオンズリーグに3度出場。

・・・オシムさんがユーゴ代表監督を辞任した時の悲しげな表情は忘れられません。自分の力ではどうしよもない大きな歴史の流れに翻弄されながらも指導者として生き抜いてきた過去。そんな過去がオシムさんの魅力になっているような気がしてなりません。少なくとも自分には。だからジーコとか選手としてエリート街道を歩んできた指導者よりも惹かれるのでしょうかね。

やっぱりヨーロッパや南米ではサッカーは生活の一部であり、当然政治や歴史にも大きな影響を受けるのでしょう。さらに言えばそれがサッカー自体の魅力ともいえるのでしょうか・・・。

「名将」オシムさんの早期回復をお心からお祈りします。